2016年5月16日月曜日

2回目の「なぎさ食堂」


fence works の事務所で、「なぎさ食堂」を開きます。
主催は、fence worksメンバーのナオ(大久保尚美さん)。

4月に、なおの呼びかけで初めて開いて、今回は2回目です。


1回目のときは、
まるで、家でごはんを食べているような
温かなほっとするような空間が生まれました。


それが、わたしには、すごく新鮮に感じられて
fence worksに身を置いているうちに、
もう一度、やってみたいなーと思って、
5月もやろう!と声をかけました。


今から、どんな料理を作ろうかと
八百屋の野菜たちを眺めています。


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なぎさ食堂のご案内
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みなさま

こんにちは

fence works事務所ちかくの茨住吉神社の木々に、
陽に透けるようなやわらかい新緑が揺れています。

5月になりました。
2回目のなぎさ食堂を開きます。


fence worksの事務所がある場所では
以前「なぎさ食堂」という食堂が営まれていました。


土地の記憶にのって
ひと晩、あたたかいごはん、ご一緒しませんか。


前回、第1回目のなぎさ食堂では
ごはん部なっちゃんが
旬の食材の美味しいところを食卓に運び入れてくれ、
それを、仁美ちゃんのおばあちゃんが営んでいた喫茶店
喫茶リエからお借りした食器をつかっていただきました。


「人とことばの研究室」のけんちゃんが
コーヒーを淹れてくれたり
お越しいただいた方のお話が場の温度を
じわ〜っと底からあげてくれたり


あつまったひとつひとつのかけらが、
場所にやわらかい波紋を幾重にも重ねて
空間が広がっていきました。


わたしは
準備を終えてごはんを並び終えたあと
「ごはんができたよー」と
お待ちいただいていたみなさんに声をかけるときの
胸がひゃん、とあたたかい感触を
最近もふと、思い出します。


重なる、「いただきます」「ごちそうさま」の記憶。
連なるその一回を、ご一緒したいと思います。

 
第1回目より、参加費が100円あがっております。
旬の食材の美味しいところ、みつけたいのと
入れ替わりなくゆっくり過ごしたいという思いあって
2部制で設定した前回よりも、呼びかけの人数を
すくなくさせていただいたことから、こうなりました。
(すくなく、と書きましたが
 4人集まったら、充分である、という感触をもっています)


また、ひと晩、ぽっとのれんをかかげる「なぎさ食堂」
ぜひ、ほろっと、寄ってみてください。



大久保尚美


(4月のなぎさ食堂の模様)









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<なぎさ食堂> (要予約)
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◎日 時
2016年5月24日(火)
●19時〜21時頃まで


◎定 員
4名(要予約/申込締め切り5月22日)


◎参加費
1600円
※一汁三菜のごはん、甘味と珈琲、お出しします。


◎場 所
fence worksの事務所(studio CAVE 2階)
大阪市西区千代崎2-2-13
http://www.fenceworks.jp/access.html


◎主 催
大久保尚美


◎ごはんをつくるひと
小林直子(ごはん部)


◎お申込み
メールにて受付いたします。

・お名前
・当日連絡用の携帯電話の番号 

以上をご明記の上
fenceworks2010□gmail.com (□を@に変換してご利用ください)
担当事務局 フェンスワークス 大久保尚美 までご連絡ください。


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『なぎさ食堂、に寄せて』


ごはん部を始めたのは、一昨年の11月だった。
円坐をするときに、一緒に参加しながら
ごはんを作ってくれる人がいたらいいなぁという
一声からはじまった。

それから、なんとなくだけれど
自分が食べたいと思う料理を作りたくて
いろいろレシピを集めていたら、
この人いいなぁと思う料理家の人がいて
そのレシピで料理を作るようになった。

わたしがいいなぁと思うのは、
野菜の美味しさを味わえるものだったり
日本の昔ながらの料理だったり
出汁からきちんととってあるものだったり。

いいなぁと思うレシピ本を思い出すと、
レシピを作っているその料理家さんの顔や思いみたいなものが
見えているものが多い気がする。

わたしは、
何か専門的に料理を習ったわけではないけれど、
そんな、自分がいいなあと思ったレシピで料理を作るのが楽しい。

そして料理を作るようになってから
季節の移り変わりがより楽しみになってきた。
それは、それぞれの季節で旬の食材があって
やっぱりその時期に出来るものが、
一番美味しくて、
それをいかに美味しく食べるかということが
楽しくなってきたから。

今回は、なおが「なぎさ食堂」という器をつくってくれた。
その中で、この春に美味しい食材を使って料理を作れること
その料理をたべていただけること
それが嬉しくて楽しみです。


小林直子

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2016年5月14日土曜日

「なかなか動けない」



「なかなか動けない」
わたしがよく口にしてきたセリフだ。


わたしがこのセリフを口にする時、
わたしは、「周りのみんながやっているように
スムーズに事を運べない」と思っている。

ここで言う“周りのみんな”という言葉で浮かんでいる姿は、
大学卒業後に、活動していた時の団体の代表や、
5年前まで仕事をしてきた時の先輩や仲間たちの姿。

「石橋を叩きすぎて、割ってから渡るような人だね」
そんなことを言われたこともある。


そんな経験が積もって、わたしは動けない人だということを
思い込んでいたのだと思う。



今、振り返ってみれば、よくここまで来たな―と驚くくらいの動きがあった。


それらは、
私一人で動こうと思って、動き出したのではなくて、
その時その時の出会いがあり、その誰かとの間に
気づけば、動きが生まれていた。
ただそれだけのようにも思える。


わたしの中には「これをやりたい!」という思いはあって、
その思いをがちっと固めて、周りも見ずに突っ走ってしまうと
けっこうつまづくことが多い。

焦らずに、ゆっくりと、目の前の人やコトに向き合い続けたら
自然と動きが生まれて、自然とそのやりたいに近づいていくのかもしれない。
そんなとき、そのやりたいことは、
わたしの予想をはるかに超えた
もっとすごいものが生まれてきたりするのだろうと思う。


ゆっくりと向き合い続ける。
傍から見たら、動いているのかいないのか、
わからないぐらいの動きかもしれないけれど、
実は、ものすごく動いていたりすのかもしれない。




2016年5月13日金曜日

5月の円坐/studio CAVE(守人:橋本久仁彦)のご案内


5月22日に
大阪市西区のstudio CAVEで
一日の円坐を開くことになりました。

守人は、橋本久仁彦さんです。

“終わり、そして始まる”
一つの節目としての円坐の場を
ご一緒できたらと思います。


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5月の円坐 / studio CAVE
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▶日 時:5月22日(日)10:00-18:45

▶場 所:studio CAVE(スタジオ ケイブ)
     大阪市西区千代崎2-2-13
     http://www.fenceworks.jp/access.html

▶守 人:橋本久仁彦

▶参加費:8,000円

▶主 催:小林直子(fence works)

▶申込み:fenceworks2010□gmail.com
     (□を@に変換してご利用ください)
     ・お名前
     ・当日連絡用の携帯電話の番号をご明記の上、
      メールにてお申込みください。


*****

2011年10月、わたしは、
studio CAVEで開催された橋本久仁彦さんの円坐に初めて参加した。
一日の時間だったけれど
人生を大きく変える出会いだった。

その後、幾度かの節目を超えてきたように思う。
ファシリクラス(非構成的エンカウンターグループ・ファシリテータートレーニングクラス)に通うことを決め、
鹿児島から大阪に移り住み、
結婚をし、
fence worksに入った。
そして、またこの5月に
滋賀に引っ越すことを決め、
それと同時に、fence worksを離れることになった。

一日の円坐からはじまったこの5年は、
大きな流れに、流されるまま流され、
気がついたら、ここまできていたという感じだ。

聞くとは?
円坐とは?
生きるとは?

流れの中で、わたしから見えている景色は大きく変わってきた。
今はまだ、その変化のまっただ中にいて、言葉にはならない。


そして、ここからは、
わたしの生きていく道を
自らの足で踏みしめながら
歩んでいこうとしている。

この節目に、5年前と同じ場所で
今度は、主催するものとしてこの場を開くことが
わたしにとっての
一つの終わりであり、そして始まりであるように思う。


小林直子


2016年4月24日日曜日

自分として立ち続ける、料理



4月15日、金曜日の夜に開かれた
「なぎさ食堂(主催はなお)」で、ごはんを作った。

メニューを考えているとき、料理を作っているとき、
「来てくれた人に、満足してもらえるような料理が作れるのだろうか。」
そんな不安がつきまとう。

献立や量や揃える食材を決めていく中で
あっちへこっちへ、ぐらんぐらんに揺れまくる。
揺れすぎて、疲れてしまったり
時間を気にして、焦ってきたりする。

そのうち、自分がなぜ料理を作っているのかわからなくなる。
そして、“作りたいと思ってはじめたこと”が、
“やらならければならないこと”に
いつのまにか変わっている。

料理ができて、みんなが食べているとき、
あー、これは、ちょっと味付け薄かったかな―とか、
もうちょっと食べやすく切っておけばよかったなーとか、
そんなことが不安が出てくる。

いったん、そのことに焦点があたってしまうと、なかなか抜け出せない。
みんな、「美味しい」と言って食べてくれているのに、
なかなか素直に受け取れなくなってしまう。


心配や不安が出てくる時というのは、
目の前にあるものを見ていない。



八百屋に並んだ新鮮な野菜とか
炊きあがったつやつやのごはんとか
お湯に入れた葉野菜がきれいな緑色に変わる瞬間とか
料理を食べてくれている人たちの表情とか
目の前にあるものに一瞬一瞬向き合うように作った料理は
きっと美味しく感じられるのだろうと思う。

目の前にあるものに一瞬一瞬向き合っているときというのは、
自分として立ち続けているときだ。


そんなふうに料理をつくりたい。

2016年4月18日月曜日

「東西ゆくくる 2016・春」のご案内







2015年2月、聡志と絢ちゃんが突然、わたしたちの住む
大阪にやってきたことからはじまった、この「東西ゆくくる」。

その後、5月にわたしとけんちゃんが東京に行き、
9月には、また聡志と絢ちゃんが大阪にやってきた。

そして、今回、わたしたちが東京に行く。


この“ゆくくる”では、
4人それぞれの最先端が行き交い、
往復運動する中で、企画が立ち上がる。

この4人が一番面白いと思えるものをやろう。
それだけは外さない。

4人それぞれ、
立ち位置は様々なのだけれど、
それぞれが、心地良いところで関わる。

このプロセスがとても面白い。

傍から見るときっと
亀のようにのろっのろっと
その歩みは、ゆっくりのように見えるのだろうけれど
実は、ものすごい速さで進んでいるように思える。



そういえば、
ちょうど一年前に東京に行った時は、
途中眠ってしまうことが多かった。
きっと、その場にいるということだけで
力をだいぶ使っていたのだろうと思う。

今回は、前よりも体力がついてきて、
その場で起こっていることに目を凝らし
耳を澄ましていけそうな気がする。
よりいっそう面白い東京滞在になりそうだ。



東西ゆくくるのwebサイトができました。
本日できたてホヤホヤです。
http://yukukuru.wix.com/yukukuru



以下、東京での企画たち。
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4月27日(水)19:00~21:45 
「お金の回 ~お金のインタビューからはじまる3時間~ 」
▷世話人:小林健司・中尾絢子
▷場 所:駒沢大学付近
▷参加費:4,000円
https://www.facebook.com/events/1703504486558417/


4月28日(木)19:00~21:45
「人差し指で奏でるピアノのワークショップ」
▷ファシリテーター:中尾聡志
▷場 所: 用賀付近
▷参加費:2,500円
https://www.facebook.com/events/593819174104271/


4月29日(金)~5月1日(日)
「2泊3日けんちゃんの円坐」
▷守 人:小林健司
▷場 所: 代々木付近
▷参加費:30,000円https://www.facebook.com/events/960643927304017/


5月3日(火祝)10:00~15:00
「声を通して本を味わう時間 」
▷世話人:小林健司
▷場 所: たぬき村(世田谷区砧)
▷参加費:2,000円
https://www.facebook.com/events/1131235133562909/


5月3日(火祝)17:00~適当に解散
「~持ち寄り食会~ in 東京 」
▷世話人:小林健司
▷場 所: たぬき村(世田谷区砧)
▷参加費:1,000円
https://www.facebook.com/events/853855794736725/


5月4日(水祝)09:30~16:00
「~結びの影舞舞台~」
一部《稽古》   9:30 - 12:00
二部《舞台》 13:00 - 16:00
※一部のみ、二部のみの参加も可能
▷世話人:中尾聡志・中尾絢子
▷場 所: 池尻大橋付近の和室
▷参加費:《一部》2,000円 /《二部》1,500円
【第一部】https://www.facebook.com/events/1597246370594961/
【第二部】https://www.facebook.com/events/1518857691756497/


5月6日(金)時間未定
「~死ぬまでにもう一度みたい映画を語る会~」
▷興味のある方は、詳細お問い合わせください。


5月7日(土)13:30~20:00
「「聞く」と「話す」の探求講座 」
▷坐 主:小林健司
▷場 所: 中根住区センター 和室
▷参加費:4,000円
https://www.facebook.com/events/1272535642763021/


5月8日(日)10:30~16:30
「~夫婦で坐る会~」
▷場 所: 中根住区センター 和室
▷参加費:2,200円
https://www.facebook.com/events/1701195643452267/


<お申込み>
下記内容を ordinaryworld0420(at)gmail.com まで
(at)を@に変えてご連絡ください。

・お名前
・電話番号
・日程と参加される企画名
・その他(何かあればご自由に)

主催:東西ゆくくるメンバー(中尾絢子、中尾聡志、小林健司、小林直子)

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2016年4月17日日曜日

青空円坐@小金井公園(東京都)のご案内




4月の末に、東京で、双子の子育てまっただ中の和田香予さんと
円坐を開くことになりました。
香予ちゃんの子どもたちが通っている‘森のようちえん‘の
遊び場にもなる広い公園。その芝生の上で開きます。


わたしはどんな風に円坐を開いていくのだろうと考える時がある。
そんなことを考えると、今は、
日常の暮らしとのつながりのあるところで、円坐を開く。
そんなイメージが湧いてくる。

香予ちゃんと開くことになった時、
同じようなイメージを持った。

東京での初めての円坐
香予ちゃんと初めて開く円坐
集まった方と、どんな空間が生まれていくのか、楽しみです。


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日々、自分の何に湧いてくる感覚や感情。
それは、嬉しいとか、悲しいとか、寂しいとか、
そういう一言ではとうてい言い表すことができない。

無理やり言葉にして、それを説明しようとすると、
話はあっちへ行き、こっちへ行き、
全く収拾がつかない自体になってしまう。

何を言いたいのか、自分でもわからなくなり、
あやふやなままで終わらせたり、
相手の理解に合わせてしまったり。

そして、そのまま時間が流れていく。

そんなことが日常の中では度々起こる。


円坐の空間は
日常の時間から切り離される。

そこで語られる言葉を「そのまま聞く」
ということをする守人がいるだけで、
やらなければならないということが何もなく
思うままに過ごすことになる。

そんな中では、
自分の中に起こることが目にとまったり、
自分の中からあがってくる声が聞こえてきたりする。

そうして、
いつもは、見過ごしている自分のことに目を向けてみると、
その時の自分の立っているところが少し見えたりしてくる。

そういう時間が、暮らしの中にあるといい。

日常の暮らしの中に、ぽこっと出現した空間。そんな円坐の場を開きます。


小林直子

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「そういう時間が、暮らしの中にあるといい。
日常の暮らしの中に、ぽこっと出現した空間。そんな円坐の場を開きます。」

なっちゃんの言葉いいな~響くな~と

私はなにを言葉にしたらいいんだろう~

なっちゃんと公園で坐る場
向き合ってくれる人の有り難さ。

言葉にする苦手さ、不得意さがある。

でも、円坐の場ではことばになる、なっていく姿がある。

日常では見えにくい
味わい、体感、言葉など
ゆっくりことばにして、きかせて頂けたらと願う。

                           和田 香予



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青空円坐@小金井公園(東京都)
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日 時:2016年4月28日(木)10:00-13:30

場 所:都立小金井公園(東京都)

参加費:2,000円

守 人:和田香予・小林直子

申込み:k_baobabu■major.ocn.ne.jp(和田)
        《■を@に変換してご利用ください》
スケジュール:
10:30-11:40 一つ目の円坐(70)
11:40-12:30 昼食(50)
12:30-14:00 二つ目の円坐(90)

※雨天の場合は、中止となります。
※お昼ごはんは、お弁当などをお持ち下さい。


2016年4月8日金曜日

「春から夏の小林直子(なっちゃん)の円坐 まるネコ堂」開催中止いたします



「春から夏の小林直子(なっちゃん)の円坐 まるネコ堂」は、
開催を中止することにいたしました。


この5月から6月にかけて
わたしの心境を大きく揺るがすような出来事が起こり、
円坐とは何なのかが、わからなくなり
自分が守人として、その場を開くことができなくなりました。

主催の山根澪さんにもご理解をいただき、
春から夏にかけての3回連続で計画しておりました7月の回を
中止とさせていただくことになりました。

ご参加をお考えいただいていた方には、大変申し訳ございません。


小林直子


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山根澪さんと、まるネコ堂での円坐を開くことになりました。
まるネコ堂での円坐は、初めてなので、少し緊張しています。


澪ちゃんと円坐を初めて開いたのは去年の5月。
そのときは、京都東山にある和室で開いた。

その時に感じた実感は、
今でも確かな感覚として残っている。

あの時、一度きりの場。

あの場を開かなければ、
その実感は、わたしの中にはなかったはずだ。

あの場を開いて、
今のわたしがいる。


靄にかかっていて見えにくいのだけれど、
自分の中に確かにある”何か”を
とらえて、懸命に言葉にしようとする
そんな澪ちゃんの姿がある。

わたしが、つい見逃してしまうような
見えるか見えないかぐらいのことを
とらえていたりする。


一年経った今、
澪ちゃんとともに開くこの場で、
わたしは、どのように居ることができるのか。

背筋を伸ばし、この日を迎えたいと思います。


小林直子

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1年ほど前、わたしは初めてなっちゃんこと、
小林直子さんの円坐の案内文を書いた。

その時にこんなことを書いている、
「なっちゃんは、 私のパートナーの友達のパートナーでした。」
そして、知り合いの、知り合いの、知り合いだったなっちゃんは
その円坐を開くころにはわたしの直接知る人になっていた。

わたしはなっちゃんや誰かを直接知ること、
その人そのものと関わっていくことに緊張を感じながら、楽しかった。
伝達で聞くのとはぜんぜん違う、わたしがその人を知っていく。

そして、最近ふとまた面白く見ているのが、
わたし以外の誰かが見せてくれる誰かの姿だったりする。
例えば、なっちゃんが見せてくれるわたしのパートナーの姿。
それに、
なっちゃんが見せてくれるわたし自身の姿。

自分では日の当てられない場所に、
他の人は光を当てることがある。

自分が直接に誰かと触れあうのではない、
誰かが誰かに対峙するの見て、
その対峙の仕方に感嘆したり、驚いたり、怒ったり。
そんなことから現れる結果にまたもや
感嘆したり、驚いたり、怒ったり、
ときにはこそばゆく思ったりしながら、
新たに見えてくる誰かや自分自身を見て目を細めながら、
それを見ようとしたり、見たくないと思ったりしながら、
やっぱり見ようとして、見えたところでハッとする。

そんなことを面白がったり、ハッとしたりできるのは、多分、
誰かのことを、自分自身のことを、
きりきりのところまで直接見ようと、関わろうとするからだろうと思う。

なっちゃんが新たな暗闇に光を向けようとする瞬間を度々見てきた。
新たな暗闇、変な言葉だけど、
光が当たるまでそこが暗闇になっていたことすらわからない。
そして、その光の当て方がわたしは好きだ。
そこで起こることすべての波を、取り込んで、感じようとする。
そんな、なっちゃんの円坐。

5月、6月、7月と月に一度開催します。
一度きりでなく、なっちゃんとしばし時間をともにしたい、
と思い、初めて複数日程でご案内します。

山根澪


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○日 程 :2016年5月15日(日)10時30分~17時30分
      2016年6月12日(日)10時30分~17時30分
      2016年7月3日(日)10時30分~17時30分

※単発での参加が可能です。
※お昼休憩に簡単な昼食をご用意します。


○場 所 :まるネコ堂
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。


○守 人 :小林直子


○主 催 :山根澪


○参加費 :各回 3,500円


○定 員 :8人


○申 込 :mio.yamane@gmail.com (山根)


注意:猫がいます。円坐を行なう部屋には入れませんが普段は出入り
   しています。アレルギーの方はご注意下さい

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2016年3月10日木曜日

とらわれているもの



掃除をしているとき
料理をつくっているとき
仕事をしているとき

何かにとらわれた自分のままで
それらに取り掛かると
それらは、面倒くさいものになっていたり
集中できなくなったりしている。


宿泊の円坐に参加していた時のこと。
円坐が始まる前に、
部屋をきれいにしたいと思い掃き掃除をする。
箒木の柄から伝わる感触や、
集まるゴミを見つめる。
掃くという行為に没頭している自分がいた。

同じように、
ごはん部で料理を作っている時、
もうその時間にやることは、
”料理を作ること“だけなので、
料理に没頭している自分がいる。

その時間は心地よい。


一方で、日常生活の中で
掃除をするとき、料理をするとき、
次はあれもやらなきゃこれもやらなきゃと思っていたり、
そのちょっと前にあった出来事を考えていたり、
そんなことをしている。

だから目の前の行為を
やっているのだけれど、見ていない。
だから、ちょっといいかげんになったり
早く済ませようとして失敗したりすることが多い。

何かにとらわれていると
目の前にあるものがおろそかになる。


だからと言って、とらわれているもの
それ自体をなんとかしなければと思うと窮屈になる
「ああ、あるなぁ」と気づくだけでいいのかもしれない。

そうしたら、
掃除でも、料理でも、その行為一つ一つに
手をかけ、目をかけ、心をかける
そんなふうになっていくのかもしれない。


2016年3月2日水曜日

「まるネコ堂 なっちゃんの影舞 音読のなかで。」のご案内



大谷さんと開催する2回目の影舞の時間です。

「書くこと」と「影舞」。
それが合わさったら、どうなるんだろう。
そんな楽しみがある。


10月に初めて開いた影舞の時間は、
やっぱり、「まるネコ堂ならでは」で、
まるで、深海の底へと降り立つような
濃密な時間となった。

「言葉が生まれる瞬間のようだ」と言った人がいる。

自分の身体に起こった反応とか
感じた感覚とか、
沸き上がってきたイメージとか、
自分の中に見えたものが確かにあるのだけれど、
それをあらわす言葉が見つからない。
そんなことを話していた。


影舞で何が起こっているの、とか
影舞って何なの、とか
わたしには、なかなか説明できないのだけれど
まるネコ堂という場所で、
その時間、そこに集う人たちにより、
初めて生まれる世界がある。
ただそれだけだとも思う。

そしてそれがとても楽しみだ。


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2016/ 4/ 2「まるネコ堂 なっちゃんの影舞 音読のなかで。」
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夏と秋が重なったその鴨川は水かさが減って、
いつもは川底だった場所が夕暮れに現れていた。
東京から来ていた友人となっちゃんの影舞がはじまった。

触れ合った二人の指先を見ていた。二人の動きを見ていた。
音楽はかけなかった。
後ろには鴨川が黒っぽく流れ、
彼岸の建物に明かりが遠く灯っていた。

途切れない水音、
橋を渡る微かなおしゃべり、
車の走行音がしていた。

一人ひとりの動きを追っていたが、二人で一つの動きとわかった。
二人で一つに見るために、焦点を広げた。

先に起こったのはどちらだったのか。
おそらくは音のはずだ。

それまでは輪郭をたもっていた音たちは、
少しずつお互いに入り込むようにして、
ただ広がる流れになっていった。

それから一つの動きとして見えていたそれは、
その下の丸い石たちに混じり合った。
後ろの水の流れにも融け合った。
遠くに見えていたはずの灯りや建物はもう背景ではなく、
網膜にうつっているすべてはひと続きになった。

きこえている、や、うつっている、
のへだたりすらなくなっていて、
太古の昔から悠久の未来まで、
それはそうあった。

ガツンガツン

石が打ち合わされる音が突然して、怒りが湧いた。
案の定、すべてが終わった。

終わる合図に石を鳴らすことを取り決めていたのだった。
東京の友人となっちゃんが、
鴨川の河原で人に戻ってちょっと笑った。

これが初めての僕のなっちゃんの影舞だ。


持ち寄った文を音読するなかで、
なっちゃんの影舞をしたらどうなるのか。
それをします。

影舞は、二人の人が指先の一点でふれあい、
その点から始まる、音のなかの動きです。
決められた動きをするのではなく、
ふれあう一点とまわりにある音によって動いていきます。

大谷 隆


==

大谷さんの「書く」とういうことに触れて、
わたしのこれまで持っていた「書く」ということの認識が
がらりと変わってしまった。
それまで持っていた
人に見せるための「書く」ではなくて、
自分のところに立ち続ける「書く」ということを知った。
そんな風に書いた文章は、
書いた時の自分に戻れる場所のようなものになる。

「書く」とき、読み手がいることを知っているが、
読み手の方を見て書いているのではなくて、
見ているのは、自分の中だ。

「影舞」でも同じような動きをしている。

見ている人の視線に触れながら、
舞台と設定した場所に立った時、
人に見せるための舞ではなく、
自分で立ち続けるということを意識させられる。
身につけた技や知識などは、何もまとえず、
わたしは、向かい合った相手とどのように関わるのかということを問われ続ける。
向かっているのは相手であり、自分だ。

自分のところに立ち続ける「書く」と「影舞」。

これまでのわたしは、
文章を書くことも、舞台に立って表現することも
苦手で、好きじゃなかったのだけれど、
大谷さんのいう「書く」ことや影舞を知ってからは
面白くなってきている。

大谷さんと影舞をやるなら、
誰かによって書かれた文章の中で、影舞をしてみたい!と思っていた。

自分が書いた文章とか
好きな本の印象に残っている一節とか
誰かから送られてきた手紙とか
そういった文章をもちよって
声に出して読む、その音の中で
影舞をしてみたいと思います。

小林直子(なっちゃん)

==

▶日 時 :2016年4月2日(土)10時30分~17時30分 

音読したい文章(自分で書いたものか、本などから選んだもの)を
お持ちください。


▶場 所 :まるネコ堂にて
      (京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167)

      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩十五分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
      詳しいアクセスは以下よりどうぞ。
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html

      注意:猫がいます。影舞を行なう部屋には入れませんが普段
      は出入りしています。アレルギーの方はご相談下さい。

▶世話人 :小林 直子(なっちゃん)

▶主 催 :大谷 隆

▶参加費 :4,000円 

▶定 員 :6人

▶申 込 :marunekodo@gmail.com (大谷)


2016年2月25日木曜日

当たり前のような時間



みんなで顔を合わせて笑い合う。

実ったものを目の前で収穫して食べる。

みんなでみんなの食べるものを作る。

手元にやってきた食材を
粗末にせずに料理する。

美味しい美味しいと言い合って食べる。

そんななんの特別でもない
当たり前のような時間。

わたしにとって嬉しくて、大事にしたいと思う時間。


大きくなるにつれて、だんだんと減ってきた。
それが悲しく、さみしい。


なぜなくなっていったのだろう。

それ以上に大事なものってあるのだろうか。


そんな思いがわたしの中にある。



2016年2月23日火曜日

幼いころの記憶


親戚が集まっての稲刈り作業。
みんなが食べる分をみんなでつくっていた。
みんなが作業をしている傍らで
小さかったわたしは、みんなが運ぶ稲の束からこぼれ落ちた稲穂を拾い集めていた。
踏まれて泥がついたものは、きれいに拭う。
一本だった稲穂が、両手いっぱいになるまで集まったら母に束ねてもらった。

年末はお餅をつく。
薪で蒸されたもち米を、つく前に食べさせてもらった。
あの美味しさを覚えている。
男性陣がが代わる代わるついていく。
次々につかれるお餅を、女性陣が丸めていく。
熱々の大きな餅をばあちゃんがすばやい手つきで丸く小さくちぎっていく。
わたしも粉まみれになりながら、みんなの手つきを真似しながら丸めていく。
「すばやくやらなきゃ、餅がかたなる」
そう言いながら、次々と小餅ができあがる。
鏡餅もみんなの家の数だけきれいに出来上がっていた。

お味噌づくりも、みんなでやっていた。
たくさんの大豆をミンサーでミンチにする。
ハンドルを回すとミンチになって出てくるのが面白くて
ずっと眺めていた。
畳2畳分ぐらいありそうな大きな竹のザルに
ミンチになった大豆を広げて、麹とまぜていく。
きれいに混ざるように、大きく手を動かす。
固まった麹をほぐしていく。
どうしてもどんな味がするのか気になって
こそっと食べてみたら、なんとも言えない味がした。
すぐに見つかって「あらっ!美味しいねー?」って笑われた。

大きな畑でさつまいもを掘ったり、
お茶の葉をつんだり
ばあちゃんの家にみんなが集まって、その季節季節の作業をする。
たいてい、そんな日のお昼は、
ごはんとみそ汁と豆腐と焼き鯖が出てくる。

それらは、自分たちが食べるための作業。
わたしの中には、
そんな風景とともに、その時の匂いや味が今でも残っている。


2016年2月19日金曜日

大事に思っていること


自分が大事にしたいと思っていることは、
他の人からしたら”些細なもの”なのだ。
そう思っている自分がいる。

なので、大事にしたいことであっても
そのことをなかなか人に伝えられない。

伝えられないまま、
自分が大事に思っているそのことを
大事にしてもらえなかったら
諦めてしまうというか、幻滅してしまうというか、
その人のことをそういう人だと決めつけてしまう自分がいる。

きちんと言葉にしたら
「そんなことを思っていたの?!」と
びっくりされたけれど、伝わるのだなと思う時があった。

自分のことは、何も言葉にせずに
諦めたり、幻滅したり、この人はこういう人だと決めつけたり
そんなことをしてきた自分に気づいた。


それはそれでいいけれど、

その人とは、それ以上の間柄にはなれなくて、
わたしの決めつけたその人として、
わたしは見ていくのだろうと思うと
なんだか、もったいない気がしてきた。


わたし以外の誰かが大事に思っていることなんて
わたしには、到底わかるものではなくて
誰かの大事に思っていることを
わたしも無意識に踏んづけたりしているのかもしれない。


2016年2月14日日曜日

影舞のこと その3


去年の10月31日に、大谷さんと影舞の会を開いた。
その時の案内文を掲載する。

わたしにとって、初めて開催した影舞の場。

終わって出てくるのは、「ものすごかった」という言葉。
何がものすごかったのか、言葉にすることが今でも難しい。

ただ言えるのは、そこに集った7名によって
初めて生まれた世界だったということ。

その時空間の中で、
それぞれが見た景色は、
言葉にならないところで
それぞれの身に染みこんでいく。


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2015/10/31 「まるネコ堂  なっちゃんの影舞」案内文
=========================

なっちゃん(小林直子さん)は書いている。


  影舞は、相手の指先と自分の指先を触れ合わせる。触れているその間に
  蝶をはさんでいるように、触れた一点に集中する。その蝶の羽が破れな
  いように、放してしまわないように相手の指先にそっと触れる。触れた
  ところから、舞がはじまる。
  [小林直子、『fence worksメールニュースNo.113』 ]


「触れたところから、舞がはじまる」のだから、触れる前に舞は無い。まさ
にその「触れた一点」から、舞がはじまる。その時、それまでは無かった
何かが生まれる。


  相手と自分の間に、ある空間が生まれるような感覚になった時があった。
  その空間に二人がいるような感覚になり、より心地よく、動くままに動
  いている自分がいた。[同]


二人がいるこの「ある空間」は、世界である。これを読むと、世界がどうやっ
てはじまったのか、がわかる。


それまで無かった世界がはじまるというところは、薄い蝶の羽をはさんでい
るような、その一点に、全てが集中する。集中したそれぞれの全てを触れ合
わせることによって、その一点から世界が誕生される。全て、だからこそ、
世界の中に再び居ることができる。


僕たちは、きっといつも、こんなふうに、他者と、お互いの全てがある一点
で触れ合うようなこととして、であ(出会)っている。


なっちゃんは、影舞に対して「私には何も無い」と言う。それは、


まだはじまっていない世界がどうであったかなんて、私には言えない。
ということである。


大谷 隆
=======
大谷さんから
この企画のことをもちかけられたとき、
声をかけられた嬉しさと同時に
「わたしには何も無い」
そんな言葉が出てきた。

何が無いのかというと、

この影舞を通じて提示したい何かとか、
伝えたい思いとか、
こんなふうに素晴らしいものですよという完成された形とか、

きっと、そんなものが無い、のだと思う。
無いと言ってみて、
じゃあ、何があるのかと、考えてみる。

あるのは、

わたしが、橋本久仁彦さんが開いている
影舞クラスに参加し
影舞をやっている中で感じる面白さ。

その面白さは、
形にはなっていないもの、
わたしだけが見ている景色。

大谷さんは、
わたしにしか見えていないその景色を
面白そうだと言ってくれた。

大谷さんの放つ空間は、
静かで、ゆっくりとしていて、すごく丁寧な空間。
その中で、
わたしは、地に足をつけ、じっくりと
自分が見た景色を丁寧に言葉にしていくことができる気がする。

そして、
集まった方々と、影舞をしあう中で、
それぞれがそれぞれの中で見た景色を
じっくりと言葉にしあうような
そんな時間を過ごせるような気がする。

それは、
その日、その時間、その場所で
初めて生まれる世界。

そんな世界を
ご縁のある方々と一緒に過ごせることを楽しみにしています。


小林直子

=======
▶日にち :10月31日(土)
▶時 間 :13:30-17:00
▶場 所 :まるネコ堂
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
▶アクセス:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
http://marunekodosemi.blogspot.jp/p/blog-page_7.html

▶世話人 :小林直子
▶参加費 :3000円
▶定 員 :6人
▶主 催 :小林直子、大谷隆

▶申し込み:marunekodo@gmail.com(大谷隆)まで。
注意:猫がいます。会場には入れませんが普段は出入りしています。
   アレルギーの方はご注意ください。

翌日から「二泊三日 まるネコ堂円坐」(守人:小林健司さん)があります。
http://www.fenceworks.jp/info.html#/detail/7241572692591428820
こちらもご覧ください。会場での宿泊が可能です。(雑魚寝、寝袋有り)

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2016年2月12日金曜日

影舞のこと その2


続けて、去年の夏に書いた影舞の文章を掲載する。

この時に通っていた橋本さんの影舞クラスは、
稽古のような時間で、
影舞をやっている時の、自分に起こる感覚の変化を
丁寧に見ていける時間で、それが面白かった。

自分の中に起こること
それは、自分にしか見えていないもので
わたし以外の誰にも見えていないものだ。

ここに書いているのは、
いわゆるきれいに整った文章ではないのかもしれないけれど
そういうものを、外に形あるものとしてあらわした文章で、

こういうことが「書く」ということなんだと
おそらく初めて実感した。


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2015/07/01 fence works メールニュースNo.116
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前の冒頭文で、影舞のことを書いた。
今回、また冒頭文を書くことになり、あれこれ考えてみたのだけれど、
やっぱり、今わたしの頭の中にホットなものとしてあるのは、影舞らしい。


影舞の何が面白いかと言うと、
わたしの普段の人との関わりみたいなものが、露わに出てしまう感じがあるからだ。
「普段、わたしはこんなふうに人と関わっているのか」
と、その時の自分の姿みたいなものを見てしまう感じがあって、それが面白い。


橋本さんの開いている影舞クラスでは、いろんな人と影舞をするのだけれど
人が変わる度に自分の感じが変わっていることに気づく。


ある人と影舞をやってみると、
自分が指先にいるような感覚になり、その同じ指の先に相手のことも感じる。
そのときには、わたしというものはなくなっている感覚になるのだけれど、
同時に、自分の動くままに動いている感じもある。
まるで、二人の間に二人の空間が生まれて、その空間にいるような感覚になる。


一方で、
必死に指先に集中しようとしたり、
自分はこれでいいのか?と確認しながら動いていたり、
いろんな思いが出てきて、それで頭がいっぱいになっている間に
影舞が終わってしまうときもある。
その時は、相手を感じるというところと、自分を感じるというところ、
両方に慎重になっている感じがある。


最近、この違いは一体なんなのだろうということが気になっていたのだけれど、
ここまで書いて、そういえば、
完全に相手のペースに乗っかってしまうような時もあったなと思いだした。
相手の指の先に私はいないように思えて
その時間がつまらないなと思ったり、相手への気持ち悪さが湧いていたりした。


相手の感じと自分の感じの両方に慎重になっている時は、
自分がちゃんとそこに居る感じがあり
その上で、相手に向かっている感じがする。
それは、自分としてそこに居られたか、
という自分自身の勝負であるようにも思えてくる。


そんなことを思うようになると、
以前感じていた、
その時間のつまらさなさや相手への気持ち悪さみたいなものは、
自分がそこに居なかったから、
自分として相手に向かえていなかったからなのかもしれない。と思える。

それは、まさに、わたしの普段の人とか場への関わりと一緒だなと思った。

この人とはちょっとつきあいにくいだとか
この場はつまらないなとか
そんなことを思っているのは、わたしであって
わたしが、ちゃんとそこに居るということができれば
その人との関係性は変わってくるだろうし、
その場が面白い場になっていくのかもしれない。


そんなことを思えるのが面白くて、影舞に通っている。


影舞のこと


初めて影舞をしたのは、自分の結婚式。
来てくれた親族や大事な人たちの前で、
友人たちの奏でてくれる生演奏とともに
けんちゃんと影舞をした。

それから、なぜか惹かれるところがあって
今でも、触れ続けている。

去年の10月に初めて、影舞の場を開いた。
また、4月に開こうとしている。

少し影舞のことを整理したくて、
これまでに影舞のことを書いた記事をここに記載してみる。


==========================
2015/04/24 fence works メールニュースNo.113 冒頭文にて
==========================

私は今、ミニカンのクラスと影舞のクラスに通っていて、
どちらもおもしろい。
特に影舞は、誰かと影舞をすることになるので
始まる直前まで、ドキドキして落ち着かずにいる。
毎回「なんで来たんだろう」と思うのだけれど
行ってみると、いつも終わる頃にはエネルギーが上がっている。


影舞は、相手の指先と自分の指先を触れ合わせる。
触れているその間に蝶をはさんでいるように、触れた一点に集中する。
その蝶の羽が破れないように、放してしまわないように
相手の指先にそっと触れる。
触れたところから、舞がはじまる。


はじめは、相手の動きについていくことだけを意識していた。
指先の触れている感覚だけに集中して、ただただついていく。
それは、自分から抜け出て、まるで指の先に自分がいる感じがあって、
それがただ心地よかった。
あるとき、相手の動きの中に自分がいないような感覚になったときがある。
なんとなく、心地良くない感じになりつまらなくなってしまった。
「自分を保ちつつ、相手の動きについていくってどういうことなんだろう。」
そんな問いが出てきた。


相手の動きについていくからといって、
自分を消すということでもないし、
かといって、自分の動きを探っていくのも違う感じがした。


その後、自分の中を見ていくしかできないのかもしれない。
自分の中に出てきたものに注意深くいながら、
相手の動きについていくということしかできないんじゃないか。
そんなふうに思うことがあった。


そんなふうな感じをもって影舞をしてみると、
相手と自分の間に、ある空間が生まれるような感覚になった時があった。
その空間に二人がいるような感覚になり、
より心地よく、動くままに動いている自分がいた。


そんなことを思っていたら、
ふと、フェンスワークスは影舞の舞台のようだと思った。
フェンスワークスのメンバーも、
自分の中を見ていくことしかできないというところで、
真剣に生きているように見える。
その間に生まれた空間が、フェンスワークスだ。
目には見えないけれど、空間が広がっていて、そこに生きているのかもしれない。
だから、ここでは、自分のままに心地よく動くことができる。


そんなイメージが湧いてきて、またちょっと面白くなってきた。


2016年2月2日火曜日

一日円坐 studio CAVE(大阪市西区)のご案内



2月から5月にかけて、一日の円坐を開きます。
一人で始める心細さと怖さと、
同時に、まだ今は予測することもできない
未知な世界へ踏み入れる楽しみを感じています。


円坐とは、
集まった人たちで円になり坐ります。
守人が一人いて、始まりと終わりの時間を告げます。
予め設定されたテーマや目的やプログラムはありません。

そこに集った人たちにより生まれる場。

わたしは、わたしとして、守人として、坐り
そこで起こることに、耳を澄ましていたいと思います。


==========
一日円坐 studio dave
==========

◆日 時:2月 6日(土)
     3月27日(日)
     4月17日(日)
     5月21日(土)
     全て 10:30~17:00
     
     予定・・・・・・・・・・
     10:30-12:00 一つ目(90)
     12:00-13:30 お昼休憩 (90)
     13:30-15:00 二つ目 (90)
     15:00-15:30 休憩 (30)
     15:30-17:00 三つ目 (90)

◆場 所:studio CAVE(スタジオ ケイブ)
     大阪市西区千代崎2-2-13
     http://www.fenceworks.jp/access.html

◆参加費:3,000円

◆守 人:小林直子

◆申 込:fenceworks2010□gmail.com
    (□を@に変換してご利用ください)
   ・お名前
   ・当日連絡用の携帯電話の番号をご明記の上、
    メールにてお申込みください。

=============

自分の中に起こっていることに
目を凝らし、耳を澄ます。

それはまるで、池の湖畔に立ち、水面にできる波紋を見つめているよう。
どんなに小さな波紋も見逃さないように。


その瞬間は、日頃あれやこれやと悩まされている”自分”というものはどこかに行き、静かな集中が生まれる。

起こっていることというのは、
自分の中に生まれた異和感のこと。
言葉にならないぐらいの、小さな小さなひっかかりのこと。

異和感を言葉にするのは、怖い。
その先が全く見えないし、
異和感を感じたその相手とは
関われなくなってしまうかもしれない。
猛反撃をくらうかもしれない。
全く理解されないかもしれない。

そんな怖さはもちながらも
小さな異和感を言葉にしたところから
はじまったやりとりによって
相手への見方が大きく変わったことがある。

自分とは違っていて、
全く関わることができないだろうと思っていた人が、
実は、自分と同じようなところを生きているのかもしれないと思えた。

それは、こんなことが起こるのだろうかと思うぐらい驚きの出来事で、
嬉しさとともにわたしの中に強く残っている。(小林直子)


2016年1月29日金曜日

3年後の今



久しぶりにブログを見ていたら、
去年の今頃書いて、下書きのままになっていた記事を見つけた。
おもしろいので、投稿してみる。


============

前回、「3年前、わたしの人生がはじまった」という記事を書いた。
そして、「3年後の今」の感じを書きたくなったので、
その感覚を書いてみることにした。

いつも頭に浮かんでくるのは、深海のイメージだ。



今までは浅い海の中を泳いでいた。
同じような姿かたちをした魚たちと同じように泳いでいた。
そこはそこで、気持よく泳いでいた。

いつのころからか、まだいったこともない
未知の場所である深海に心惹かれていた。
ちょうど、そんなとき出逢ったパートナーと一緒に
深海へと潜ってみることになった。



深海は、暗く、静かな空間だ。
そこには、それぞれに独特な進化をとげた
奇妙な姿かたちをした生き物たちが住んでいた。

生き物たちは、
一緒に泳ぐわけでなく、それぞれに
心地よさそうに、思い思いに過ごしている。
時折り、集まった仲間と楽しそうに語らっていたりする。

深海にきたばかりの頃は、姿の奇妙さに驚いたり、
その場にどう自分を落ち着かせていいかわからず
戸惑っていたけれど、
深海の生き物たちと関わってみると、
その生き物たちがかっこよく見えるようになって
なぜかすごく楽しくなった。


そして、そうこうしているうちに、
自分の姿も、前からすると変化していることに気づく。

ヒレがなくなっていたり、
ありえないところからエラが出ていたりする。

はじめはびっくりしていたけれど、
実は自分ははじめからこういう姿をしていたのに、
浅い海に泳ぐ他の魚たちと同じようになりたくて
姿をにせていたのかもしれないなと思うようになった。

変化した、ちょっと歪なその姿のままいられることに
ちょっとした戸惑いと恥ずかしさを持ちつつも
同時に心地よさを感じている。

今は、それをパートナーと見合って、面白がったりしている


同じ姿かたちをしていなくても、
一緒にいられる心地よさ。
自分の姿のまま生きられることの心地よさ。
違いを見て、その違いを面白がり、笑い合える。
そういうふうに進化してきたことに、尊さを感じあえる。


今は、そんな、深海のような空間で過ごしている。


これから先、
自分の姿はさらに変化していきそうだし、
もっと奇妙な形をした新たな生き物との出逢いも起こりそうだ。


毎日、何もしていないようなのに、
いろいろなことが起こりすぎて、忙しくって、楽しい。


わたしの人生がはじまって3年たった今、わたしは、
そんな日々を送っている。