2016年2月25日木曜日

当たり前のような時間



みんなで顔を合わせて笑い合う。

実ったものを目の前で収穫して食べる。

みんなでみんなの食べるものを作る。

手元にやってきた食材を
粗末にせずに料理する。

美味しい美味しいと言い合って食べる。

そんななんの特別でもない
当たり前のような時間。

わたしにとって嬉しくて、大事にしたいと思う時間。


大きくなるにつれて、だんだんと減ってきた。
それが悲しく、さみしい。


なぜなくなっていったのだろう。

それ以上に大事なものってあるのだろうか。


そんな思いがわたしの中にある。



2016年2月23日火曜日

幼いころの記憶


親戚が集まっての稲刈り作業。
みんなが食べる分をみんなでつくっていた。
みんなが作業をしている傍らで
小さかったわたしは、みんなが運ぶ稲の束からこぼれ落ちた稲穂を拾い集めていた。
踏まれて泥がついたものは、きれいに拭う。
一本だった稲穂が、両手いっぱいになるまで集まったら母に束ねてもらった。

年末はお餅をつく。
薪で蒸されたもち米を、つく前に食べさせてもらった。
あの美味しさを覚えている。
男性陣がが代わる代わるついていく。
次々につかれるお餅を、女性陣が丸めていく。
熱々の大きな餅をばあちゃんがすばやい手つきで丸く小さくちぎっていく。
わたしも粉まみれになりながら、みんなの手つきを真似しながら丸めていく。
「すばやくやらなきゃ、餅がかたなる」
そう言いながら、次々と小餅ができあがる。
鏡餅もみんなの家の数だけきれいに出来上がっていた。

お味噌づくりも、みんなでやっていた。
たくさんの大豆をミンサーでミンチにする。
ハンドルを回すとミンチになって出てくるのが面白くて
ずっと眺めていた。
畳2畳分ぐらいありそうな大きな竹のザルに
ミンチになった大豆を広げて、麹とまぜていく。
きれいに混ざるように、大きく手を動かす。
固まった麹をほぐしていく。
どうしてもどんな味がするのか気になって
こそっと食べてみたら、なんとも言えない味がした。
すぐに見つかって「あらっ!美味しいねー?」って笑われた。

大きな畑でさつまいもを掘ったり、
お茶の葉をつんだり
ばあちゃんの家にみんなが集まって、その季節季節の作業をする。
たいてい、そんな日のお昼は、
ごはんとみそ汁と豆腐と焼き鯖が出てくる。

それらは、自分たちが食べるための作業。
わたしの中には、
そんな風景とともに、その時の匂いや味が今でも残っている。


2016年2月19日金曜日

大事に思っていること


自分が大事にしたいと思っていることは、
他の人からしたら”些細なもの”なのだ。
そう思っている自分がいる。

なので、大事にしたいことであっても
そのことをなかなか人に伝えられない。

伝えられないまま、
自分が大事に思っているそのことを
大事にしてもらえなかったら
諦めてしまうというか、幻滅してしまうというか、
その人のことをそういう人だと決めつけてしまう自分がいる。

きちんと言葉にしたら
「そんなことを思っていたの?!」と
びっくりされたけれど、伝わるのだなと思う時があった。

自分のことは、何も言葉にせずに
諦めたり、幻滅したり、この人はこういう人だと決めつけたり
そんなことをしてきた自分に気づいた。


それはそれでいいけれど、

その人とは、それ以上の間柄にはなれなくて、
わたしの決めつけたその人として、
わたしは見ていくのだろうと思うと
なんだか、もったいない気がしてきた。


わたし以外の誰かが大事に思っていることなんて
わたしには、到底わかるものではなくて
誰かの大事に思っていることを
わたしも無意識に踏んづけたりしているのかもしれない。


2016年2月14日日曜日

影舞のこと その3


去年の10月31日に、大谷さんと影舞の会を開いた。
その時の案内文を掲載する。

わたしにとって、初めて開催した影舞の場。

終わって出てくるのは、「ものすごかった」という言葉。
何がものすごかったのか、言葉にすることが今でも難しい。

ただ言えるのは、そこに集った7名によって
初めて生まれた世界だったということ。

その時空間の中で、
それぞれが見た景色は、
言葉にならないところで
それぞれの身に染みこんでいく。


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2015/10/31 「まるネコ堂  なっちゃんの影舞」案内文
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なっちゃん(小林直子さん)は書いている。


  影舞は、相手の指先と自分の指先を触れ合わせる。触れているその間に
  蝶をはさんでいるように、触れた一点に集中する。その蝶の羽が破れな
  いように、放してしまわないように相手の指先にそっと触れる。触れた
  ところから、舞がはじまる。
  [小林直子、『fence worksメールニュースNo.113』 ]


「触れたところから、舞がはじまる」のだから、触れる前に舞は無い。まさ
にその「触れた一点」から、舞がはじまる。その時、それまでは無かった
何かが生まれる。


  相手と自分の間に、ある空間が生まれるような感覚になった時があった。
  その空間に二人がいるような感覚になり、より心地よく、動くままに動
  いている自分がいた。[同]


二人がいるこの「ある空間」は、世界である。これを読むと、世界がどうやっ
てはじまったのか、がわかる。


それまで無かった世界がはじまるというところは、薄い蝶の羽をはさんでい
るような、その一点に、全てが集中する。集中したそれぞれの全てを触れ合
わせることによって、その一点から世界が誕生される。全て、だからこそ、
世界の中に再び居ることができる。


僕たちは、きっといつも、こんなふうに、他者と、お互いの全てがある一点
で触れ合うようなこととして、であ(出会)っている。


なっちゃんは、影舞に対して「私には何も無い」と言う。それは、


まだはじまっていない世界がどうであったかなんて、私には言えない。
ということである。


大谷 隆
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大谷さんから
この企画のことをもちかけられたとき、
声をかけられた嬉しさと同時に
「わたしには何も無い」
そんな言葉が出てきた。

何が無いのかというと、

この影舞を通じて提示したい何かとか、
伝えたい思いとか、
こんなふうに素晴らしいものですよという完成された形とか、

きっと、そんなものが無い、のだと思う。
無いと言ってみて、
じゃあ、何があるのかと、考えてみる。

あるのは、

わたしが、橋本久仁彦さんが開いている
影舞クラスに参加し
影舞をやっている中で感じる面白さ。

その面白さは、
形にはなっていないもの、
わたしだけが見ている景色。

大谷さんは、
わたしにしか見えていないその景色を
面白そうだと言ってくれた。

大谷さんの放つ空間は、
静かで、ゆっくりとしていて、すごく丁寧な空間。
その中で、
わたしは、地に足をつけ、じっくりと
自分が見た景色を丁寧に言葉にしていくことができる気がする。

そして、
集まった方々と、影舞をしあう中で、
それぞれがそれぞれの中で見た景色を
じっくりと言葉にしあうような
そんな時間を過ごせるような気がする。

それは、
その日、その時間、その場所で
初めて生まれる世界。

そんな世界を
ご縁のある方々と一緒に過ごせることを楽しみにしています。


小林直子

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▶日にち :10月31日(土)
▶時 間 :13:30-17:00
▶場 所 :まるネコ堂
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
▶アクセス:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
http://marunekodosemi.blogspot.jp/p/blog-page_7.html

▶世話人 :小林直子
▶参加費 :3000円
▶定 員 :6人
▶主 催 :小林直子、大谷隆

▶申し込み:marunekodo@gmail.com(大谷隆)まで。
注意:猫がいます。会場には入れませんが普段は出入りしています。
   アレルギーの方はご注意ください。

翌日から「二泊三日 まるネコ堂円坐」(守人:小林健司さん)があります。
http://www.fenceworks.jp/info.html#/detail/7241572692591428820
こちらもご覧ください。会場での宿泊が可能です。(雑魚寝、寝袋有り)

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2016年2月12日金曜日

影舞のこと その2


続けて、去年の夏に書いた影舞の文章を掲載する。

この時に通っていた橋本さんの影舞クラスは、
稽古のような時間で、
影舞をやっている時の、自分に起こる感覚の変化を
丁寧に見ていける時間で、それが面白かった。

自分の中に起こること
それは、自分にしか見えていないもので
わたし以外の誰にも見えていないものだ。

ここに書いているのは、
いわゆるきれいに整った文章ではないのかもしれないけれど
そういうものを、外に形あるものとしてあらわした文章で、

こういうことが「書く」ということなんだと
おそらく初めて実感した。


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2015/07/01 fence works メールニュースNo.116
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前の冒頭文で、影舞のことを書いた。
今回、また冒頭文を書くことになり、あれこれ考えてみたのだけれど、
やっぱり、今わたしの頭の中にホットなものとしてあるのは、影舞らしい。


影舞の何が面白いかと言うと、
わたしの普段の人との関わりみたいなものが、露わに出てしまう感じがあるからだ。
「普段、わたしはこんなふうに人と関わっているのか」
と、その時の自分の姿みたいなものを見てしまう感じがあって、それが面白い。


橋本さんの開いている影舞クラスでは、いろんな人と影舞をするのだけれど
人が変わる度に自分の感じが変わっていることに気づく。


ある人と影舞をやってみると、
自分が指先にいるような感覚になり、その同じ指の先に相手のことも感じる。
そのときには、わたしというものはなくなっている感覚になるのだけれど、
同時に、自分の動くままに動いている感じもある。
まるで、二人の間に二人の空間が生まれて、その空間にいるような感覚になる。


一方で、
必死に指先に集中しようとしたり、
自分はこれでいいのか?と確認しながら動いていたり、
いろんな思いが出てきて、それで頭がいっぱいになっている間に
影舞が終わってしまうときもある。
その時は、相手を感じるというところと、自分を感じるというところ、
両方に慎重になっている感じがある。


最近、この違いは一体なんなのだろうということが気になっていたのだけれど、
ここまで書いて、そういえば、
完全に相手のペースに乗っかってしまうような時もあったなと思いだした。
相手の指の先に私はいないように思えて
その時間がつまらないなと思ったり、相手への気持ち悪さが湧いていたりした。


相手の感じと自分の感じの両方に慎重になっている時は、
自分がちゃんとそこに居る感じがあり
その上で、相手に向かっている感じがする。
それは、自分としてそこに居られたか、
という自分自身の勝負であるようにも思えてくる。


そんなことを思うようになると、
以前感じていた、
その時間のつまらさなさや相手への気持ち悪さみたいなものは、
自分がそこに居なかったから、
自分として相手に向かえていなかったからなのかもしれない。と思える。

それは、まさに、わたしの普段の人とか場への関わりと一緒だなと思った。

この人とはちょっとつきあいにくいだとか
この場はつまらないなとか
そんなことを思っているのは、わたしであって
わたしが、ちゃんとそこに居るということができれば
その人との関係性は変わってくるだろうし、
その場が面白い場になっていくのかもしれない。


そんなことを思えるのが面白くて、影舞に通っている。


影舞のこと


初めて影舞をしたのは、自分の結婚式。
来てくれた親族や大事な人たちの前で、
友人たちの奏でてくれる生演奏とともに
けんちゃんと影舞をした。

それから、なぜか惹かれるところがあって
今でも、触れ続けている。

去年の10月に初めて、影舞の場を開いた。
また、4月に開こうとしている。

少し影舞のことを整理したくて、
これまでに影舞のことを書いた記事をここに記載してみる。


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2015/04/24 fence works メールニュースNo.113 冒頭文にて
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私は今、ミニカンのクラスと影舞のクラスに通っていて、
どちらもおもしろい。
特に影舞は、誰かと影舞をすることになるので
始まる直前まで、ドキドキして落ち着かずにいる。
毎回「なんで来たんだろう」と思うのだけれど
行ってみると、いつも終わる頃にはエネルギーが上がっている。


影舞は、相手の指先と自分の指先を触れ合わせる。
触れているその間に蝶をはさんでいるように、触れた一点に集中する。
その蝶の羽が破れないように、放してしまわないように
相手の指先にそっと触れる。
触れたところから、舞がはじまる。


はじめは、相手の動きについていくことだけを意識していた。
指先の触れている感覚だけに集中して、ただただついていく。
それは、自分から抜け出て、まるで指の先に自分がいる感じがあって、
それがただ心地よかった。
あるとき、相手の動きの中に自分がいないような感覚になったときがある。
なんとなく、心地良くない感じになりつまらなくなってしまった。
「自分を保ちつつ、相手の動きについていくってどういうことなんだろう。」
そんな問いが出てきた。


相手の動きについていくからといって、
自分を消すということでもないし、
かといって、自分の動きを探っていくのも違う感じがした。


その後、自分の中を見ていくしかできないのかもしれない。
自分の中に出てきたものに注意深くいながら、
相手の動きについていくということしかできないんじゃないか。
そんなふうに思うことがあった。


そんなふうな感じをもって影舞をしてみると、
相手と自分の間に、ある空間が生まれるような感覚になった時があった。
その空間に二人がいるような感覚になり、
より心地よく、動くままに動いている自分がいた。


そんなことを思っていたら、
ふと、フェンスワークスは影舞の舞台のようだと思った。
フェンスワークスのメンバーも、
自分の中を見ていくことしかできないというところで、
真剣に生きているように見える。
その間に生まれた空間が、フェンスワークスだ。
目には見えないけれど、空間が広がっていて、そこに生きているのかもしれない。
だから、ここでは、自分のままに心地よく動くことができる。


そんなイメージが湧いてきて、またちょっと面白くなってきた。


2016年2月2日火曜日

一日円坐 studio CAVE(大阪市西区)のご案内



2月から5月にかけて、一日の円坐を開きます。
一人で始める心細さと怖さと、
同時に、まだ今は予測することもできない
未知な世界へ踏み入れる楽しみを感じています。


円坐とは、
集まった人たちで円になり坐ります。
守人が一人いて、始まりと終わりの時間を告げます。
予め設定されたテーマや目的やプログラムはありません。

そこに集った人たちにより生まれる場。

わたしは、わたしとして、守人として、坐り
そこで起こることに、耳を澄ましていたいと思います。


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一日円坐 studio dave
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◆日 時:2月 6日(土)
     3月27日(日)
     4月17日(日)
     5月21日(土)
     全て 10:30~17:00
     
     予定・・・・・・・・・・
     10:30-12:00 一つ目(90)
     12:00-13:30 お昼休憩 (90)
     13:30-15:00 二つ目 (90)
     15:00-15:30 休憩 (30)
     15:30-17:00 三つ目 (90)

◆場 所:studio CAVE(スタジオ ケイブ)
     大阪市西区千代崎2-2-13
     http://www.fenceworks.jp/access.html

◆参加費:3,000円

◆守 人:小林直子

◆申 込:fenceworks2010□gmail.com
    (□を@に変換してご利用ください)
   ・お名前
   ・当日連絡用の携帯電話の番号をご明記の上、
    メールにてお申込みください。

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自分の中に起こっていることに
目を凝らし、耳を澄ます。

それはまるで、池の湖畔に立ち、水面にできる波紋を見つめているよう。
どんなに小さな波紋も見逃さないように。


その瞬間は、日頃あれやこれやと悩まされている”自分”というものはどこかに行き、静かな集中が生まれる。

起こっていることというのは、
自分の中に生まれた異和感のこと。
言葉にならないぐらいの、小さな小さなひっかかりのこと。

異和感を言葉にするのは、怖い。
その先が全く見えないし、
異和感を感じたその相手とは
関われなくなってしまうかもしれない。
猛反撃をくらうかもしれない。
全く理解されないかもしれない。

そんな怖さはもちながらも
小さな異和感を言葉にしたところから
はじまったやりとりによって
相手への見方が大きく変わったことがある。

自分とは違っていて、
全く関わることができないだろうと思っていた人が、
実は、自分と同じようなところを生きているのかもしれないと思えた。

それは、こんなことが起こるのだろうかと思うぐらい驚きの出来事で、
嬉しさとともにわたしの中に強く残っている。(小林直子)