2016年4月24日日曜日

自分として立ち続ける、料理



4月15日、金曜日の夜に開かれた
「なぎさ食堂(主催はなお)」で、ごはんを作った。

メニューを考えているとき、料理を作っているとき、
「来てくれた人に、満足してもらえるような料理が作れるのだろうか。」
そんな不安がつきまとう。

献立や量や揃える食材を決めていく中で
あっちへこっちへ、ぐらんぐらんに揺れまくる。
揺れすぎて、疲れてしまったり
時間を気にして、焦ってきたりする。

そのうち、自分がなぜ料理を作っているのかわからなくなる。
そして、“作りたいと思ってはじめたこと”が、
“やらならければならないこと”に
いつのまにか変わっている。

料理ができて、みんなが食べているとき、
あー、これは、ちょっと味付け薄かったかな―とか、
もうちょっと食べやすく切っておけばよかったなーとか、
そんなことが不安が出てくる。

いったん、そのことに焦点があたってしまうと、なかなか抜け出せない。
みんな、「美味しい」と言って食べてくれているのに、
なかなか素直に受け取れなくなってしまう。


心配や不安が出てくる時というのは、
目の前にあるものを見ていない。



八百屋に並んだ新鮮な野菜とか
炊きあがったつやつやのごはんとか
お湯に入れた葉野菜がきれいな緑色に変わる瞬間とか
料理を食べてくれている人たちの表情とか
目の前にあるものに一瞬一瞬向き合うように作った料理は
きっと美味しく感じられるのだろうと思う。

目の前にあるものに一瞬一瞬向き合っているときというのは、
自分として立ち続けているときだ。


そんなふうに料理をつくりたい。

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