2015年4月8日水曜日

わたしのねっこ


わたしのねっこの元になっている風景がある。
それは、断片的な記憶なのだけれど、
いつまでも忘れない、わたしの身体に刻まれた
大切な大切な風景。

それは、幼い頃のばあちゃんと過ごした記憶。
小さい山の上にある古いおうち、
そこで一人ただ静かに暮らしていた。

台所に立つ後ろ姿。
おやつ代わりに握ってくれた
昆布の入った炊き立てごはんのおにぎりの味。

一輪車を押して畑に向かう。
鍬で畑を耕すばあちゃんのそばで土にふれる、あそぶ。
雑音まじりのラジオの音。

大きな釜で、お茶をいるばあちゃんの手。
熱い釜で蒸されたお茶の葉を素手で揉んでいく、その手さばき。
蒸されたお茶の匂い。

藁を大きな刃物で、細かく切っていく。
寒い中 高菜の葉を塩で揉みこむ。
つきたてのアツアツのお餅を手慣れた手つきでちぎっていく。

ばあちゃんの手さばきは、真似をしても、なかなか難しい。
その一つ一つの作業を何十年繰り返してきたのだろう

お隣の家の縁側でだされたお茶とたくあん。
たくあんのポリポリという音、
そこに住むおじいちゃんとのおしゃべり。


わたしが大人になって、家をたずねると
いつも小さなコタツにぽつんと座って
「おー きたのねー」と
かわいらしく微笑んで迎えてくれた。

いろんなことがあったはずのばあちゃんの人生。

つらいことやさみしさは、胸のずっとずっと奥にしまって
日々をたんたんと生きていた。
静かな山の上で、一人静かに、自然のうつろいを感じながら。

病院のベッドの上でばあちゃんは言った。
「家に帰りたい」
「一人でさみしくないの?」と聞いたら
「家にはみんながいるから・・・」と答えた。

ばあちゃんは何も語らず、ただ、たんたんと日々を生きていた。

何も語らなくても、
その生きる姿勢が、そのまなざしが、
わたしを形づくる大切なねっこになっている。