2014年8月20日水曜日

自分の人生を生きる


お盆の期間、相方と一緒に実家に帰省した。
親戚や前に務めていた仕事でお世話になった方々に
結婚の報告をしてまわった。

その中で思ったこと。

親しくしている人の苦労している姿を見たり、話を聞くと、
その人の苦しみを一緒に苦しもうとしている自分がいたり
その問題を解決できる方法はないかと、
その問題に入り込もうとしている自分がいることに気づいた。

それは相手が何か楽しいことに向かっているような状態でも
同じように起こっているように思う。
相手の楽しみに入り込もうとしている自分がいた。


わたしは、人の人生を生きようとしていたんだなと思った。

何をやっているんだろう。

わたしは、わたしの人生を生きればいいのに
人の人生ばかり見ていたなぁと思った。

だからと言って
周りの人や状況に全く影響されずに、
自分の道を生きていくというのも違う気がするけど。


みんなそれぞれ生きている。

苦しいこともあるし、悲しいこともあるし、嬉しいこともある。
悔しいことだって、どうしようもないことだって。
それは、それで、流れの中で起こっていることで、
まわりの人がどうこうできることではない。

わたしにできることは、わたしが自分の人生を懸命に生きていくことだけ。
そうやって、いろんな大変なことがありながらも
日々、懸命に生きている人たちがいるということを感じながら
自分も自分の人生を歩んでいく。

もし、誰かが手を差し伸べて欲しいと言ってきたなら、
そのときに、自分ができることをしたらいい。


「わたしにできることは、わたしが自分の人生を懸命に生きていくことだけ。」

今は、自分にそう言い聞かせながら、歩んでいる。


2014年8月18日月曜日

知らない

8月2日から4日まで、広島に行き被爆者の話を聞かせてもらう時間があった。
ゲストとして、被爆者の方に来ていただき、参加者もスタッフも全員で円になり座る。
何のお膳立てもない場で、ただただ聞かせていただく時間。
そして、気になることや自分の思うところを語り合う。
そんな場にスタッフとして加わる機会をいただいた。

一日目に尋ねた方は、ご自身の被爆体験を語ってくださった。

原爆が落ちた後は、
痛みや臭さなどに気づかないくらいの状況だった。
わけがわからないまま、ただ生きようと生きた。
そして生きて欲しいとまわりの子どもを助けた。
戦後、一生懸命に生きてきたこと。
生き抜くためにいろんなことをしてきたこと。
そんなことをひと通り話したあとに、
「ばかみたいよね」ぽつりと放たれたその言葉に胸がきゅっとなった。
そして、長い人生の中、語り部として自分の体験を語ることになったいきさつ
も聞かせていただいた。

最後、お孫さんの話や最近好きな曲などの話しになったときに
表情がぱっと明るくなった。


話を聴ききったあと、
感想を言おうとしたら、なぜか涙が出てきてそれを押さえることができなかった。

何が涙になったのか。


私が思い量ることなんて到底出来ないような凄まじい体験をされて
それは二度と思い出したくもないような出来事だったのに
それを語りつごうと決めたのはなぜだろう。
いったいなにがそうさせるのか。
そう決めたその方の強さを感じて、それが涙になったように思う。


話を聴ききることで、感じられることがある。
こんなふうに生きてきた、生きている大人がいるんだということを知ることができた。
そして同時に、「知らないままで、やり過ごしてきた」
そんな自分に気付き、そのことに愕然とした。


話を聞かせてもらうことで、その人と出会えた感じになる。
話を聞かせてもらうことで、その人の中にある景色が
わたしの中に入ってくる。
そのことで、わたしはより満ちてくる。見えているものが広がっていく。
それが人と出会うということなんだなと思った。

だから、わたしはもっとたくさんの人と出会っていきたい。


2014年8月1日金曜日

書き綴る



日々、いろんなことが起こっている。

相方や仲間と語る中で、

気づかされることや心に残しておきたい言葉が度々あったりする

これまでの人生の中でも

こんなにいろんなことが起こることって、なかったと思う。

そんなことを、メモ書きみたいに、書き綴っていけたらいいなと思う。