初めて影舞をしたのは、自分の結婚式。
来てくれた親族や大事な人たちの前で、
友人たちの奏でてくれる生演奏とともに
けんちゃんと影舞をした。
それから、なぜか惹かれるところがあって
今でも、触れ続けている。
去年の10月に初めて、影舞の場を開いた。
また、4月に開こうとしている。
少し影舞のことを整理したくて、
これまでに影舞のことを書いた記事をここに記載してみる。
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2015/04/24 fence works メールニュースNo.113 冒頭文にて
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私は今、ミニカンのクラスと影舞のクラスに通っていて、
どちらもおもしろい。
特に影舞は、誰かと影舞をすることになるので
始まる直前まで、ドキドキして落ち着かずにいる。
毎回「なんで来たんだろう」と思うのだけれど
行ってみると、いつも終わる頃にはエネルギーが上がっている。
影舞は、相手の指先と自分の指先を触れ合わせる。
触れているその間に蝶をはさんでいるように、触れた一点に集中する。
その蝶の羽が破れないように、放してしまわないように
相手の指先にそっと触れる。
触れたところから、舞がはじまる。
はじめは、相手の動きについていくことだけを意識していた。
指先の触れている感覚だけに集中して、ただただついていく。
それは、自分から抜け出て、まるで指の先に自分がいる感じがあって、
それがただ心地よかった。
あるとき、相手の動きの中に自分がいないような感覚になったときがある。
なんとなく、心地良くない感じになりつまらなくなってしまった。
「自分を保ちつつ、相手の動きについていくってどういうことなんだろう。」
そんな問いが出てきた。
相手の動きについていくからといって、
自分を消すということでもないし、
かといって、自分の動きを探っていくのも違う感じがした。
その後、自分の中を見ていくしかできないのかもしれない。
自分の中に出てきたものに注意深くいながら、
相手の動きについていくということしかできないんじゃないか。
そんなふうに思うことがあった。
そんなふうな感じをもって影舞をしてみると、
相手と自分の間に、ある空間が生まれるような感覚になった時があった。
その空間に二人がいるような感覚になり、
より心地よく、動くままに動いている自分がいた。
そんなことを思っていたら、
ふと、フェンスワークスは影舞の舞台のようだと思った。
フェンスワークスのメンバーも、
自分の中を見ていくことしかできないというところで、
真剣に生きているように見える。
その間に生まれた空間が、フェンスワークスだ。
目には見えないけれど、空間が広がっていて、そこに生きているのかもしれない。
だから、ここでは、自分のままに心地よく動くことができる。
そんなイメージが湧いてきて、またちょっと面白くなってきた。
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